2022年1月22日 (土)

青空直下の破壊力

832a3090

 青空が出ているからって、波がおだやかなわけではないのが日本海の冬。
 おだやかな季節にはなんとか入り込んで釣りをやってるひとも多い埠頭だけれど、この瞬間にいたら一網打尽だろうな。
 みなさん、くれぐれもあぶないところには入り込まないように海を楽しんでくださいね。

 そんなこんなでおだやかな天気の土曜日。
 ワタクシはしっかり働いております(笑)。

 おはようございます。

2022年1月21日 (金)

雲を作る工場

832a3078

 工場というのは熱源なので、寒い日にはもくもくとエネルギーを吐き出しているようでとても雄々しく感じます。
 曇り空だとまるで、雲を製造しているようでもあって・・・というのは、関東の写真撮りの友だちのライフワークのテーマ。
 時々マネしてみるのだけれど、なかなか彼のようにはならないなあ(笑)。

 寒い一日だったけれど、ゆえあって早帰りの中学生の中には、雪みち徒歩帰りなのに半ズボンの男子などもいて、若いと熱が余ってるのだなあとまじまじと思ったりも。雪の日は雪の日なりの馴染み方、みんなしているのだなと思います。

 そんなわけで、いわゆる「まんぼう」がはじまりました。
 学校関係ではクラブチームなどの「ほかの学校の子と一緒にする活動は自粛してほしい」と依頼がありました。
 部活は平日90分まで。対外試合は期間中中止。

 でも、これは単に「感染者が出たらそのカタマリ(クラス、学校、クラブ)は数日休み」とか「学級閉鎖、休校になっている間だけ、そこの子はお休み」でいいんじゃないでしょうか。
 感染は、どこからでも、注意していてもやっている。
 その「最初の感染」と闘おうとすると、効果のあるものもないものも含め、いろんなことを諦めなければいけない。

 そもそも学校は「いろんな家族から子がやってくる」場所。仕事や暮らし方がいろいろあるだけに、そもそも学校はいろんな集団のHUBになる性質があります。本当にそこを感染のHUBにしないのであれば、一昨年やったように休校にするしかない。それをやらないのであれば(そして僕は「やらないほうがいい」と思っています)、おなじく課外活動などで日頃いつも顔をあわせている他校の子と一緒に行う活動だって、リスク的にはほとんどおなじ。制限する理由がありません。

 感染したひとが出たら、そのひとには「はやくよくなってね」。
 そして、その周辺で「それ以上広がらないように」そのあとの対応として学級閉鎖なり休校なりをやる、インフルエンザやノロウイルスなどの対応に準じた形でいいのではないかと僕は思っています。

 そういう意味で、アリバイのような対策が跋扈する状態というのは、大人がちゃんと考えていないということのあらわれでもあり、こどもたちに対して申し訳ないなと思ってしまうのです。

2022年1月20日 (木)

向こうの入り口

P_20220119_192540

 風が強い日が多いのでなかなかできない夜の散歩。でも、歩くことができる日にはいつもとちがう白いところの多い夜のまちが楽しめます。
 暗い路地のずっと向こうに、お寺の本堂の入り口。
 落ちてくる雪を避けるような三角の雪よけ。

 道は、ちゃんと明るいところへと繋がっているのだなあと、そんなことを思いながら歩く夜。

 今日もおつかれさまでした。

2022年1月19日 (水)

虎模様

P_20220119_072858-1

 雪が降ってもあまり凍らないのが、糸魚川アタリの冬。消雪パイプがあるのも「水を出しても凍らない」からなのだろうなとしみじみと思います。

 そうはいっても、夜明け前はそこそこ気温は下がるので、少しは凍ります。そして、消雪パイプからの水が流れたところと流れないところでこんなだんだら模様も。今朝は、寒かったのだろうなあ。

 さて。

 今日は仕事で半日上越。
 昼間は青空が広がっていたものの、道の脇の雪の山は高く、おなじ海岸沿いでもここ数日の雪の量が上越と糸魚川で全然ちがうのだなとあらためて感じました。今年の糸魚川の海岸沿いは、本当に「降るけれどつもらない」のだなあ。風の強さが関わっているのかも。

 あ、そうそう。
 青海小学校の卒業生の若いライターさんが、デイリーポータルZというサイトに青小の土手に昔あった「あけぼのタワー」の記事
 『危険な巨大遊具で遊んでいた話』
 https://dailyportalz.jp/kiji/akebono-towe
 を載せておられました。

 遙か昔だけじゃなくて、ほんの10年くらい前にもちゃんとこういうバカなたのしいことやってる子、ちゃんといるんですねえ。なんだか、それがうれしい。

 興味をお持ちの方、ぜひ見てみてくださいね。

2022年1月18日 (火)

覆う

P_20220118_075453-1

 海岸近くでは積もらないここ数日の雪。とはいえ降ることは降るので、こんな風にいろんなところに付着しています。
 点灯時間の短い信号の黄色いところは、概ね覆われちゃってるなあ。

 さむい一日、お疲れ様でした。

2022年1月17日 (月)

雪の華

832a3066

 桜並木にうっすら積もる雪、きれいだなあ。
 ウチの近所はけっこう降ったのに、ほとんど積もりません。
 大野くらいから山の方だと、ちゃんと残っていくのだろうなあ。

 さて。

 今日お客さんと市内のあれこれのことを話していて、あらためて「おまんもそうおもうだろね」と同意を求められることに対してことごとくアグリーではない自分にちょっと驚いてしまいました。年齢層では自分より20くらい上の方ばかりだったのだけれど、世代がちがうとこれだけ「ここちゃんとやれ」「ここがおかしい」と思うポイントがちがうのだなあ、と。

 こんなのアタリマエなのになんでやらないのかといった話は、思ったほど多くの人の同意事項ではない。こういうことはいつも思っているつもりなのだけれど、もっともっときちんと意識するべきなのだと痛感しました。

 だとすれば、僕はもっと「COVID-19でなにもかもがなくなってしまわないためにも、多少のリスクを織り込んでもいろんなことを中止しないように、次はやるように」という話について、丁寧に丁寧に声を出していかなければいけないのだと思います。

 「きちんとコロナ禍がおわるまでは仕方ない」という話のもとに、ほとんど感染が落ち着いていた昨年10~12月前半の状況でもいろんなことの中止が決まりました。本当にこの件の心配がなくなるまでやらないということにしていると、おそらく「本当にこの件の心配がない」日々は永久に、もしくはものすごく先になるまで訪れない。そうすると、なんとかなったころには、田舎を田舎として魅力的にしていたいろんな「不要不急だけれどきっと必要な」ことやものが既になくなってしまったあとなのではないかという強い危機感があります。

 できる範囲で、やれることをやっていく。
 そして「感染したひとを迷惑扱いしない」(これを「迷惑扱いするひとをスポイルしていく」のではないやりかたで、幸せにできる方法を考えないといけない)。

 そういうこと、考えていきたいなとつくづく思うワタクシなのです。
 そのためには、まず「怒るのやめなきゃなあ」とも思うのです。アグリーなひとにしか伝わらない話じゃないようにしないと、話は広がらない。ならば、怒ったり嗤ったりするよりは、共感を作っていかないといかんですもんね。

 そんなことを、ぼんやりと考えながら。
 今日も、そろそろお疲れ様でした。

2022年1月16日 (日)

春唐辛子

832a3063

 あ、ちがった。春遠からじ、か。

 雪を乗っけている小枝には、桜のつぼみ。
 これをみるたびに、志村ふくみさんの桜の染め物のエピソードを思い出します。
 たしか、読んだのは中学校の頃の国語の教科書。調べてみれば、大岡信さんの「言葉の力」の中の一節だったようです。

 全部が全部おぼえているわけではないけれど、教科書って断片的に妙に覚えているものだなあと思う。落書きした著者近影の写真とかも。

 先週の雪は「降ったな」という雪だったけれど、ここ数日は大学共通テストにあわせて雪化粧程度のほんのりとしたものしか降りませんでした。会場によっては津波警報とか、嫌な事件とかもあったけれど、ご近所ではさしあたり心静かに試験が終わったんじゃないか、終わったらいいなあと、そんなことを思っています。だって、去年もCOVID-19と大雪で大変だったもの。

 そんなこんなで週末もそろそろおしまい。週明けは降りそうですが、それもほどほどだと、いいなあ。

«地層